教員からのメッセージの最近のブログ記事

海外研修の報告会で、2年生には「コミュニケーション」というテーマで課題を出した。

2年生T君のコメント

今回の発表で、映像や現地に実際に行ってみての感想などを伺えて、とても参考になりました。

その中でも私が一番のコミュニケーションだと感じた場面は、最後の質問に対しての先輩たちのコメントです。二年生からの質問で「実際に行ってみて変わったことは」という質問に対して、先輩たちは「日々の生活の中でプラスになるようなことをしたい。大学生活を有意義なものにしようという意識が生まれた」と言っていました。

 これは自分が今一番悩んでいることでした。二年生になって、あまり日数は経っていませんが、自分が大学に通っている意味を探しています。一年生の頃からこの気持ちはありました。二年生になり急に気持ちに焦りが出ました。大学に来ている意味は何だと考えていたところ、今回の報告会で、先輩たちの話を聞き、この研修に参加したことによって、今後の人生に何かプラスになることを得たのだろうと私個人は感じました。

ですから、この報告会では、私たちの心に話しかけてくれた気がしました。(以上がT君のコメント)

現地での滞在が始まって1週間が終わった頃から、二人の言葉に日本での自分の生活との比較が出てくるようになった。たとえば「この研修に参加していない春休み」である。去年の春休み(1年生のとき)を例にとれば、朝遅く起きて、友達にメールして、テレビ見て、またメールして、遊ぶ約束して、・・・となる。それに比べて、オレゴンでは規則正しく9時から活動する。9時から活動するには、それより2時間近くも早く起きなくてはならない。そして9時に活動をはじめてから夕方の4時半まで、毎日が新しいことの連続。きのうとかわらない今日など、1日もなかった。そして、ホストファミリーとの生活。まさに1対1、人対人。生きることすなわちコミュニケーションだったのである。つきなみな言い方だが、毎日が充実していた。そして、考える時間に満ちている。同じ年齢の大学生を目の当たりにする。自分はこれでいいのか、という自問自答の連続。T君がいみじくも書いているように「今後の人生」を真剣にとらえることになる。

T君にこんなコメントを書かせたのだから、報告会で、二人は伝える力を存分に発揮したと言える。もちろんその力は現地で身につけたもの、そして現地で接した人たちから授かったものに他ならない。

 

北海道工業大学人間社会学科ではパンフレットなどに「マネジメントを学んで人間力で活かす」というフレーズを掲げています。学生がマネジメントする対象となるもの。その中で大きなものひとつは勉強でしょう。

 先日、人間社会学科1年生のノートを見る機会がありました。英語のテスト対策にと、ある学生がノート作りをしていたのです。授業中にノートを取ることは基本中の基本です。彼はさらに、通学の乗り物の中で記憶を確認するためのノートも作っていました。人間社会 001.jpg

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授業内容を復習するというマネジメントの他に、彼は自分の学習を管理するというマネジメントを行っていました。それもノートという形で行われていたものです。テスト対策の勉強を、いつ、どのような内容についてどれくらいの時間をかけて行ったか、記録してありました。それを見ると、彼の勉強がどのように進行しているのかわかります。彼にとっては、自分の学習がうまくいっているのかどうか、見直すための道具になっています。

 このような取り組みを見ていてわかったのは、マネジメントという言葉に当てはまるのは主体的、自主的、能動的な行動だということです。試験に追い詰められて勉強しているのではなく、試験というターゲットに向けて、いかに時間などの要素を管理し、自分の学習の質を高めるか。ターゲットを追究していくプロセスを高める。そのために、いろいろな工夫をする。

 マネジメントとは何かと言われたら簡単には答えられないですが、彼のような取り組みをマネジメントと称することはできるでしょう。そう考えると、マネジメントは生活上のいろいろなところに存在していることがわかりました。これが今日の収穫のひとつです。

 先日、東京のイベント企画会社を経営する友人から北海道で大道芸人の技を競う地区大会をやるのでその審査員をしてくれとの依頼を受けた。私のような素人がそんな全国大会に出る芸人を選ぶなんて無理だと言うと「まちづくりに一役買っている大道芸人さん達の存在やその力を知らないでまちの活性化計画をつくれるの?」と一言。それならと引き受けた。当然ノーギャラである。(うまく友人にはめられたかも?) 

 しかし、芸王グランプリ北海道地区大会(4月26日)の会場へ出向き審査員席に座ってからの4時間はあっという間であった。一言で初体験の感想を言うと「すごい!これぞプロ!感動した!」としか出てこない。10組目最後に登場したMrバー芸王道大会.JPG.JPGドさんの約5分間のパントマイムには正直涙がこぼれてしまった。その姿を隣りで見ていた友人(主催者兼審査員)は「涙する審査員を初めて見た。感動した。」とマイクでポツリ。

 人間社会学科では"HIT寄席"を学生達の力もかりて昨年初めて開催した。文化に触れる生きた実習の一つでもある。今回、道内あるいは全国、時には海外で道行く人に芸を披露し、投げ銭(芸の評価額)で生活するこの若い芸人の皆さん(10組)に学生を会わせてあげられなかったことを心から悔やんだ。私に2,000円を投げさせ、見事代表になったMrバードには是非、全国一になってもらって祝杯をあげたいものだ。「芸は身を助ける」は真実でした。        

(まちづくりの濱谷)

 

高校の教員として社会に貢献したいと考えている皆さんに耳寄り情報です。

このたび人間社会学科では、教職課程(公民)が文部科学省より認可されました。
この教職課程は平成21年度入学生より適用されます。

この教職課程の規定のカリキュラムと手続きにしたがって単位を修得することで、高等学校教諭第一種普通免許状(公民)を取得することができます。

人間社会学科にまた新たに高校教師という道が開けました。

こんにちは、梶谷です。
今日は本の紹介です。
以前、私のお知り合いの作家の多胡吉郎さんをこのブログでご紹介しました。

http://ningenshakai.net/2008/07/post-23.html

その記事中でも触れましたが、多胡さんとのお付き合いは、多胡さんが作品の執筆にあたり、ちょうど内容が私の研究内容と重なっていたために、メールでお問い合わせをしてこられたのがきっかけでした。もうかれこれ2年も前になるのでしょうか?

それで、昨年2008年10月に、ついにその作品がP1010141.JPG完成し、出版されました。

多胡吉郎著『わたしの歌を、あなたに 柳兼子、絶唱の朝鮮』、河出書房新社

 この作品の主人公、柳兼子(やなぎ・かねこ)は、大正期から昭和にかけて活躍した声楽家(アルト)です。柳兼子は当時日本の植民地下にあった朝鮮半島に渡り、音楽会を十数回にわたって開催した人物です。
 兼子の夫である柳宗悦(やなぎ・むねよし)は、朝鮮の人々の境遇に深く同情し、それと同時に彼らが生み出した芸術に美的価値を見出し、その保存に尽力しました。宗悦は朝鮮芸術を保護するために、現在のソウルの地に朝鮮民族美術館の設立を計画するのですが、その資金集めのために妻兼子は日本国内や朝鮮半島において何度も音楽会を開催し、収益金を美術館設立資金に充てたのでした。そして、1924(大正13)年4月、朝鮮民族美術館は開館するに至ります。
 柳宗悦が見出し、保護した朝鮮半島の美術品は、紆余曲折を経て、今はその多くが国立韓国中央博物館に無事に収蔵されています。

 兼子は夫宗悦の活動を支える存在としてみなされる傾向が強いのですが、多胡さんはあえて兼子を主人公とし、兼子の視点から彼/彼女らの活動を描きます。しかも、多胡さんは音楽会のプログラムから兼子の思いを汲み取るという、クラシック音楽の大ファンである多胡さんらしい手法で、読み解きます。柳宗悦について知っている人からすると、歴史がまた異なって見えてくることでしょう。
 
 日韓近代史は、支配する側とされる側に二分される不幸な時代で、殺伐としたイメージが付きまといます。日韓の交流は今からは想像もできないほど困難なものだったでしょう。それでも人と人は交流していた。市民レベルの豊かな交流は確かに存在していた。柳宗悦と兼子の活動は、そういう事実を教えてくれます。人の心や文化の交流とは思ったより複雑なもので、今なおこの時代から学ぶべきことは多々あるように思うのです。

 日韓国交正常化(1965年)から間もない1968年、兼子は韓国の人々から請われて韓国で音楽会を開きます。植民地支配ののち国交断絶状態が続き、半世紀近くの年月を経ながらも、韓国の人々からなお音楽会を求められる日本人・柳兼子とは、どのような人物なのでしょうか?

 ぜひ、ご一読ください。