2009年1月アーカイブ

第4回目の講師は、手塚千砂子先生。命の声を聴く自己尊重トレーニング普及と自己尊重インストラクターの養成にご尽力されており、現在「心のジム・テヅカ」を主宰されています。

今回のテーマは「自己尊重トレーニング~こころとカラダをときほぐし、もっと自分を好きになろう!」

両手を胸に当てて、命の声を聴くワークや、2人ペアになって互いを褒めあい「ありがとう」と声を掛け合う「ほめワーク」など、本講座のテーマでもある心と体について見つめなおし、内在している意識に目を向けるきっかけをいただきました。

特に今回は地域の方の反響が大きく、今までの人間力講座のなかで最も多くの方々にご参加いただきました。なかには手塚先生のファンも!?

teduka.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに詳しく知りたい方は、手塚先生のHPをご覧ください。

http://homepage1.nifty.com/tezuka/index2.htm

 

 みなさん、あけましておめでとうございます。新しい年を迎えました。今年はもう2年生、人間社会学科も2年目を迎えます。


 昨年後半から一気に"100年に一度の津波"と言われる世界同時不況が発生し、我が国の労働政策とも相まって、非正規従業員が職を失ないつつあります。不況が続けばリストラが加速し、"人間社会"に混乱が生じることになりかねません。


"人間社会学科"を創設するとき我々スタッフは、人間社会はまさに"人生そのものである"、グローバル・少子高齢化の加速、価値観の多様化そのような社会で生き抜くための術を身につけてもらいたい、との思いで銘々いたしました。時間がかかっても明けない夜はありません。我が国の景気回復のためには、"地域と企業及び個人"がいかに知恵をしぼり活路を開き、将来のための戦略を練り、いま努力するかが、問われています。


 2年生からは、人間社会学科が専門領域としているまさにこの「企業社会(Business Management)」「地域社会(Glocal Management*)」「人間形成(Self Management)」を対象とした学習が開始されます。


 本学科のスローガン、"マネジメント学んで人間力で活かす"、すなわち、"目標を達成するための最善策を導き出しそれを実践する"というマネジメントの考え方を基盤として、"心"をもつ人間が築く"真の人間社会"の形成(デザイン)に役立つ人材として成長して行くことに大いに期待をよせています。


"今年も頑張りましょう"


三上行生

こんにちは、梶谷です。
今日は本の紹介です。
以前、私のお知り合いの作家の多胡吉郎さんをこのブログでご紹介しました。

http://ningenshakai.net/2008/07/post-23.html

その記事中でも触れましたが、多胡さんとのお付き合いは、多胡さんが作品の執筆にあたり、ちょうど内容が私の研究内容と重なっていたために、メールでお問い合わせをしてこられたのがきっかけでした。もうかれこれ2年も前になるのでしょうか?

それで、昨年2008年10月に、ついにその作品がP1010141.JPG完成し、出版されました。

多胡吉郎著『わたしの歌を、あなたに 柳兼子、絶唱の朝鮮』、河出書房新社

 この作品の主人公、柳兼子(やなぎ・かねこ)は、大正期から昭和にかけて活躍した声楽家(アルト)です。柳兼子は当時日本の植民地下にあった朝鮮半島に渡り、音楽会を十数回にわたって開催した人物です。
 兼子の夫である柳宗悦(やなぎ・むねよし)は、朝鮮の人々の境遇に深く同情し、それと同時に彼らが生み出した芸術に美的価値を見出し、その保存に尽力しました。宗悦は朝鮮芸術を保護するために、現在のソウルの地に朝鮮民族美術館の設立を計画するのですが、その資金集めのために妻兼子は日本国内や朝鮮半島において何度も音楽会を開催し、収益金を美術館設立資金に充てたのでした。そして、1924(大正13)年4月、朝鮮民族美術館は開館するに至ります。
 柳宗悦が見出し、保護した朝鮮半島の美術品は、紆余曲折を経て、今はその多くが国立韓国中央博物館に無事に収蔵されています。

 兼子は夫宗悦の活動を支える存在としてみなされる傾向が強いのですが、多胡さんはあえて兼子を主人公とし、兼子の視点から彼/彼女らの活動を描きます。しかも、多胡さんは音楽会のプログラムから兼子の思いを汲み取るという、クラシック音楽の大ファンである多胡さんらしい手法で、読み解きます。柳宗悦について知っている人からすると、歴史がまた異なって見えてくることでしょう。
 
 日韓近代史は、支配する側とされる側に二分される不幸な時代で、殺伐としたイメージが付きまといます。日韓の交流は今からは想像もできないほど困難なものだったでしょう。それでも人と人は交流していた。市民レベルの豊かな交流は確かに存在していた。柳宗悦と兼子の活動は、そういう事実を教えてくれます。人の心や文化の交流とは思ったより複雑なもので、今なおこの時代から学ぶべきことは多々あるように思うのです。

 日韓国交正常化(1965年)から間もない1968年、兼子は韓国の人々から請われて韓国で音楽会を開きます。植民地支配ののち国交断絶状態が続き、半世紀近くの年月を経ながらも、韓国の人々からなお音楽会を求められる日本人・柳兼子とは、どのような人物なのでしょうか?

 ぜひ、ご一読ください。

 

新年明けましておめでとうございます。
今年も人間社会学科ブログ、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、新年早々このブログにも新たな展開が。
モバイルサイトができました。
これまでPCでしかブログを見ることができませんでしたが、これからは携帯でいつでもどこでもお手軽にブログにアクセスすることが可能になりました。
コンテンツはPC版と同じです。どんどんアクセスしてみてください。

アドレスは↓
http://www.ningenshakai.net/m/
mobile-title.png